第96代 後醍醐天皇陵 陵名=塔尾陵
(トウノオノミササギ゙)
陵の形=円丘 皇居=吉野行宮
父=後宇多天皇 藤原忠子
在位年数=22年(1318〜1339年) 年齢=52歳(1288〜1339年)
所在地=奈良県吉野郡大字吉野山字塔ノ尾 如意輪寺内

2004.5.1、快晴、好天の一日、元会社の同僚と吉野山を歩いた。
その際、光厳天皇と南北二朝のきっかけとなった後醍醐天皇陵に立ち寄った。


2004.5.1 撮影

2004.5.1 撮影

「南朝の皇居」の吉水神社

祭神が後醍醐天皇の吉水神社

2016.7.27 金峯山寺蔵王堂参拝の際、如意輪寺の裏手の後醍醐天皇陵にも参拝した。

初めて見た光景 
 
ここ吉野ではこんな光景は当たり前だと

後醍醐天皇陵の手前には世泰親王墓

世泰(せたい とふりがな) 親王墓
 
後醍醐天皇のひ孫
 
2017/4/24 吉野奥千本を歩いた際、また立ち寄った。

第97代 後村上天皇陵 陵名=檜尾陵
(ヒノオノミササギ)
陵の形=円丘 皇居=吉野行宮・賀名生行宮
     ・住吉行宮・天野行宮
父=後醍醐天皇 母=藤原廉子(新待賢門院)
在位年数=30年(1339〜1368年) 年齢=41歳(1328〜1368年)
所在地=大阪府河内長野市寺元 観心寺内

2011.10.7 ゆうほ会で金剛裾野自然公園巡りで観心寺へ行った際、境内から往復15分の階段を登り参拝した。

 この天皇は後醍醐天皇の第七皇子として生誕、父後醍醐天皇が配流された隠岐の島から帰還し、
鎌倉幕府を倒して建武の新政を始めた頃の動乱の時代に各地を転々とし最後はこの檜尾陵に葬られた。

2011.10.7 撮影 
 
2011.10.7 撮影

第98代 長慶天皇陵 陵名=嵯峨東陵
(サガノヒガシノミササギ)
陵の形=円丘 皇居=住吉行宮他
父=後村上天皇 母=近衛勝子(嘉喜門院)
在位年数=16年(1368〜1383年) 年齢=52歳(1343〜1394年)
所在地=京都市右京区嵯峨天竜寺角倉町


2006.10.30、気持ちのよい秋晴れの一日京都・嵯峨嵐山駅から歩いて10分ほどのところの長慶天皇を訪れた。
嵐山駅付近には観光客が大勢いたが、この天皇陵には人影がなかった。
長慶天皇は事蹟に不明な点が多く、大正15年になってようやく正式に皇位にあったことを認められた。
本当の陵の所在もよくは分からないらしい。

2012.7.22 5巡目の四国遍路の際、3番金泉寺本堂裏に長慶天皇陵があった。
この天皇の時代は南朝北朝の大嵐の時代で長慶天皇はこのお寺でなくなったといわれる。


2006.10.30 撮影

2006.10.30 撮影

四国金泉寺の長慶天皇陵 2012.7.22撮影  

四国金泉寺の長慶天皇陵 2012.7.22撮影 

第99代 後亀山天皇陵 陵名=嵯峨小倉陵
(サガノオグラシノミササギ)
陵の形=五輪塔・空堀 皇居=吉野行宮・栄山寺行宮
父=後村上天皇 母=近衛勝子(嘉喜門院)
在位年数=10年(1383〜1392年) 年齢=?歳(?〜1442年)
所在地=京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町町

2006.10.30、京都の祇王寺・念仏寺そばの後亀山天皇陵を訪ねた。
JR嵯峨嵐山駅から長慶天皇陵〜後嵯峨天皇陵・亀山天皇陵を参拝して「トロッコ嵐山駅」を経由、
大河内山荘を横目に竹薮道を行くと常寂光寺・二尊院・壇林寺、その横に後亀山天皇陵がある。

嵯峨・竹薮の道

壇林寺

2006.10.30 撮影

2006.10.30 撮影




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