第41代 持統天皇陵 陵名=檜隈大内陵(ヒノクマノオオウチノミササギ)
野口王墓古墳(ノグチオウハカコフン)
陵の形=円丘 皇居=飛鳥浄御原宮・藤原宮
父=天智天皇 母=蘇我遠智娘
在位年数=8年(690〜697年) 年齢=58歳(645〜702年)
所在地=奈良県高市郡明日香村野口

壬申の乱(672年)に勝利し、律令制の基礎を築いた天武天皇の妃。天武天皇の後には実子の草壁の皇子を跡継ぎにと考えていたが、
病弱にして28歳にて没したため、46歳にして即位。
天武天皇が編纂を進めた「飛鳥浄御原律令」が持統天皇3年にようやく完成。
このころから「天皇」という言い方も定着したらしい。

「春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山」は万葉集に収められた持統天皇の御製である。

持統天皇は天皇としてはじめて火葬されている。

2012.10.24 朝日新聞夕刊によると「天武天皇と共に合葬されているこの陵、
形が不明確なため今まで円形とされていたが宮内庁は今般八角形だと公表した」と。

2012.10.24 朝日新聞夕刊  古墳復元図 

墳丘角の裾部分

八角形の角に合わせて加工された石
参拝年月日
2004.7.27、天武・持統合葬陵
2004.7.27
2006.9.12
2013.10.2

第42代 文武天皇陵 陵名=檜隈安古岡上陵(ヒノクマノアコノオカエノミササギ)
陵の形=八角形 皇居=藤原宮
父=草壁皇子(追尊岡宮天皇) 母=安閇皇女(元明天皇)
在位年数=11年(697〜707年) 年齢=25歳(683〜707年)
所在地=奈良県高市郡明日香村栗原


幼い頃皇位に就くまでは軽皇子という。
父草壁の皇子は天武天皇と持統天皇の子、父草壁は病弱で28歳にして死亡したため
文武が成長するまで持統天皇が政治にたずさわった。

2004.7.27、明日香地域の天皇陵を訪ねた。

参拝年月日
2004.7.27、撮影

2004.7.27、撮影
2004.7.27
2006.9.12
2013.10.2
2004.7.27、撮影
 

第43代 元明天皇陵 陵名=奈保山東陵
(ナホヤマノヒガシノミササギ)
陵の形=山形 皇居=藤原宮・平城宮
父=天智天皇 母=蘇我姪娘
在位年数=9年(707〜715年) 年齢=61歳(661〜721年)
所在地=奈良県奈良市奈良阪町

2004.4.6、奈良ドリームランドのそばの元明天皇陵まで自宅から自転車を走らせた。往復5時間を要した。
すぐ近くには、44代元正天皇陵が「奈保山西陵」としてある。
参拝年月 
2004.4.6、撮影 

2004.4.6、撮影 
 2004.04.06
 2012.11.21
 2014.2.2

第44代 元正天皇陵 陵名=奈保山西陵
(ナホヤマノニシノミササギ)
陵の形=山形 皇居=平城宮
父=草壁皇子(追尊岡宮天皇) 母=阿閉皇女(アヘノヒメミコ)(天智の皇女)
在位年数=10年(715〜724年) 年齢=69歳(680〜748年)
所在地=奈良県奈良市奈良阪町
参拝年月日
2004.4.6、撮影 

2004.4.6、撮影 
2004.04.06
2010.01.16
 2012.11.21
 2014.2.2

第45代 聖武天皇陵 陵名=佐保山南陵
(ナホヤマノミナミノミササギ)
陵の形=山形 皇居=平城・恭仁・難波・紫香楽宮
父=文武天皇 皇后=藤原安宿媛(光明子・光明皇后)
在位年数=26年(724〜749年) 年齢=56歳(701〜756年)
所在地=奈良県奈良市法蓮町


奈良時代の三代目の天皇。
724年に26才で即位し、光明皇后と仏教を篤く信仰された。
諸国には国分寺建設の詔を発布された。その総国分寺である東大寺には世界に比類のない「盧舎那金堂大仏」がある。
皇居は次から次へ転々としている。民衆はその負担に困ったであろう。

 参拝年月
2004.4.6、撮影

2004.4.6、撮影
 2004.04.06
2012.11.21 
 2018.02.10
聖武天皇の佐保山南陵の右となりには佐保山東陵として仁正皇后陵が並んでいた。
 参拝年月
2004.4.6、撮影
 2004.04.06
2012.11.21
 2018.02.10


2005.7.27読売新聞朝刊

2005.7.27読売新聞朝刊




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