高野山へ
2015/8/10(月) 

今回は単独WAKEで高野山へ

高野山に着くと駐車場が全くない。
奥の院へ向かっていると路上駐車のできるところがあった。 

路上駐車したら内側(境内)に
四国八十八ケ所があった。 1番霊山寺〜4番大日寺

34番種間寺〜36番青龍寺
 

83番一宮寺〜88番大窪寺


紀州徳川家10代治宝・14代茂承の墓所

明智光秀墓所 

姿見の井戸

 結城秀康(家康次男)石廟・・・重要文化財

奥の院手前の川に卒塔婆 

奥の院、これより奥は撮影禁止 

112代霊元天皇の歯塔 以下24塔 

他は例えば中御門天皇髪塔とか桃園天皇髪爪塔とか

こんもり土饅頭の塔がいくつも

奥の院 これより先は撮影禁止

豊臣家墓所 秀吉と母(ねねは別居)、秀長と夫人

石田光成墓所
 
一の橋そばには司馬遼太郎の文学碑があった。

「高野山は、いうまでもなく平安初期に空海がひらいた。
山上は、ふしぎなほどに平坦である。

そこに一個の都市でも展開しているかのように、堂塔、伽藍、子院などが棟をそびえさせ、ひさしを深くし、練塀をつらねている。
枝道に入ると、中世、別所とよばれていて、非僧非俗のひとたちが集団で住んでいた幽邃な場所があり、寺よりもはるかに俗臭が少ない。

さらには、林間に苔むした中世以来の墓地があり、もっとも奥まった場所である奥ノ院に、僧空海がいまも生けるひととして、四時、勤仕されている。
その大道の出発点には、唐代の都城の門もこうであったかと思えるような大門がそびえているのである。

大門のむこうは、天である。山なみがひくくたたなづき、四季四時の虚空がひどく大きい。
大門からそのような虚空を眺めているとこの宗教都市がじつは現実のものではなく、空にかけた幻影ではないかとさえ思えてくる。

まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、唯一ともいえる異域ではないか。
                                                            司馬遼太郎 」

 
鶴田浩二(本名:小野栄一)の墓
 
海軍第14期飛行予備学生戦没者慰霊塔

奥の院から出てしばらく歩くと 金剛峯寺表門 

主殿

森林(もり)のいのちの塔 崔石鎬(チェ ソクホ)のアート

根本大塔 
 
金堂
 
中門(平成27年に再建された)
 
伽藍中門吽像にセミ

伽藍中門阿像にトンボ 

大門 

大門の前から町石道が始まる(過去に1度歩いた)

高野山、標高はおよそ1000m 。さすがに涼しかったね。
 ↓ ピカサの写真一覧
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