2013.4.25(木)〜5.2(木)
3回目のハワイ旅行

2008年の夏に結婚した次男夫婦からまたまた、ハワイ旅行の提案があった。
 
前回は中川夫妻と6名の旅行だったが、今回は次男夫婦と我々夫婦の2組・4名。
2013.4.25(木)

4.26(金)

当初の予定では9:15 ハワイアン航空 HA0450便で関空からハワイへ直行出国の予定だったが、機器の点検が必要になったとかでその便は欠便になった。
代替便が羽田から出るとのことで、羽田で乗り継ぎの出国となった。 しょっぱなからえらいトラブル。

午前0時、羽田からの飛行機は座席がスパンの最前列だったため足元が広く、快適だった。
目の前に座ってくれたPHiL ROOT氏が愉快なスチュワードで楽しく過ごせた。

と、午前4時頃ワタシの席へ若い男(?)が倒れこんできた。ワタシにもたれかかりそのままワタシの足元に寝込んでしまう。
乗客係がいろいろ世話をするのが約90分。

正気に戻った若い男と思った人は実は奥さんだった。
日頃から持病のある人だったらしい。
【現地1日目 4月25日 ハワイ入国】



12:00

日本を出国したのが4月25日、ハワイに入国したのも4月25日。
腕時計を見ると日本時間は26日の朝7:00で、ハワイ時間では25日の正午。19時間の時差がある。
換算方法は簡単だ。日本時間に5時間加えればハワイ時間になる。 (7:00+5=12:00)
ホノルル着。 

ホノルル空港 

荷物の受け取り場では麻薬探知犬が活躍中

空港で種々の手続きを終えて、ワイキキのホテルへ移動する。

ホノルル空港まえの景色

立派なリムジンで

リムジン車内

16:00

ワイキキパークホテルに着く。

ホテル近くのTHE CHEESECAKE FACTORYで食事 

ワイキキパークホテル 
【現地2日目 4月26日 マノアの滝】

4:30

目覚めるも外は真っ暗、夜明けを待って早朝一人でワイキキビーチを散歩。
すぐ近くにArmy Museumがある。開館は9時からのため入館は後日にする。

Army Museum

会館前展示品

会館前展示品

Kuroda Park

ビーチからダイヤモンドヘッドを望む

ビーチの突堤 
 朝の散歩を終えてみんなでアサイボウルの朝食。

アサイボウルはアサイベリー(ブルーベリーの仲間)のスムージーの上に他の果物や
シリアルを乗せた食べ物。
このところこれも有名らしい。

アサイボウル 
13:00

14:10

朝食後JCBカード提示での無料バスでアラモアナセンターまで行き、The Bus(2.5$)に乗り換えてマノアの滝へ。
バス停から行き交う人に挨拶しながら、歩くこと約40分。 ぬかるんだ山道坂道を登ると大きな長い滝!

MANOA FALLSの案内板

途中のパイナップル

道端のハイビスカス

名前が分からない 

名前が分からない

ハワイではこの木(バニヤンツリー)が至るところに 
 
滝が見えてきた
 
マノアの滝

マノアの滝にて 
14:10

16:00

山から下ってくる途中、現地人ダンサーがカメラマンと共にいた。 「プリーズ カメラ」と訳の分からない英語で自分のカメラを指差すと、彼らは笑顔で「OK OK」と。 幸い他に観光客のいないときでゆっくり撮影させてもらえた。

フラダンサー 

フラダンサー

名前が分からない

名前が分からない

バス停にて Brazilian Cardinal 

バス停にて 名前が分からない

滝から下りきったところのレインボーエンドで軽食。

帰りのバスで中国人らしき夫婦(奥さんは妊婦)が3歳くらいの子供を抱え、「マノアの滝へ行きたかったのに・・・」という意味のことをわめきながら降り場を乗り過ごしたことを周りの人に訴えている。
3歳くらいの子供は寝ているは、奥さんのお腹は大きいは、履物はサンダルだは、を見てオッ家内が「行かなくて良かったですよ」と諭していた。 
言葉は通じたと思う。

 アラモアナで下車してショピングを楽しむ。

18:35 ホテル帰着。 次男が「今日はホテルのワインパーティーだった。忘れていた〜〜」と。 残念、時既に遅し、Finish!! 
 19:45
ビーチで花火大会。



 
 花火を見終えてホテルに帰り「NOBU」で夕食。 NOBUは支配人が松久信幸氏でおすし経営で成功した日本人とのこと。
久しぶりの日本食だったが我々にとっての味は「イマイチ」だった。
 
NOBU
【現地3日目 4月27日 アウトレット】
5:30
起床。 
部屋が少し寒い。 室温を見ると温度計は70度となっている、??・・・これは華氏。アメリカでは普段華氏を使っている。
華氏を摂氏に読み替えるには(華氏ー32)÷2=摂氏。 (70ー32)÷2=19。 これでは少し寒いはずだ。
室温を74度に切り替える。

まだ暗し。 小鳥のさえずりは良く聞こえる。
6:16

7:30

早朝、アラワイ運河を一人で散歩。 
その途中、写真のようにゴミ箱をあさる人あり。 後日、アラモアナ公園では大勢のモノ乞い、テント生活者等が目に付き、
ハワイでも居るんだなと思わされた。

ゴミあさり

アラワイ運河からのダイヤモンドヘッド 

運河でボート練習
10:25
この日はアウトレットでショッピングを楽しむ日。 ホテルをスタート、近所のEggs'n Thingsで朝食。

有名らしい、長い待ち時間 

出てきたパンケーキ

小鳥も朝食、物怖じしない
14:20  
一旦アラモアナに出てThe Busでワイケレのアウトレットへ。

 アウトレット入り口
 
アウトレットのお店
 
19:30
 
ホテルに帰り、近くの中華料理店で夕食。 おいしかった。

北京ダック 

牛肉炒め

焼きソバ
20:45
 
スパム祭りで歩行者天国になった夜のカラカウアアベニューを散策。
ジャズバンドが出て賑わっていた。

 ジャズバンド
 
歩行者天国
 
歩行者天国

今まで4人で行動していたが、明日はいよいよ英語の話せない老夫婦二人のダイヤモンドヘッド行き。
ホテルに帰ると明日のダイヤモンドヘッド行きについてバスの乗り方等々、朋ちゃんがいろいろ教えてくれる。 TomoChan Thank You!

登山口まで行くには二通りのバスがあり、一つはトロリーで登山口のすぐそばまで行け27$。
もう一つの方法はThe Busでバス停は少し離れているが2.5$。
どちらの方法でと比較されるも言うまでもなく、The Busの2.5$。

【現地4日目 4月28日 ダイヤモンドヘッド】


山頂から赤い屋根のライトハウスを望む  
9:10  
Army Museum 1時間近くバス待ちの上、The Bus(2.5$)でスタート。
ハワイのバス停には一切時刻表がない。次のバスはいつ来るのか全く分からない。 気長に待つしかない。
9:35
ダイヤモンドヘッドのバス停からウオーク開始。 
昨日トロリーかThe Busか考えたが結果オーライ。登山口まで歩く距離は20分ほどで大したことなかった。

バス停からの遠景

バス停からしばらく歩くとトンネルがある

トンネル前(ルックアウト)からの遠景
10:00

 
バス停から約20分(ゆっくりゆっくり)で登山口に着く。入山料1$。
初めてのハワイ旅行のとき(2008年)にここで新婦朋ちゃんが腰掛けた木があり思い出した。

ダイヤモンドヘッド登山口 

2008年新婦朋ちゃんがこの木に腰掛けた

頂上への階段

道脇のLions Ear
 
Lions Ear

名前が分からない

登山道 

山頂へ

 頂上近くに74〜100〜43〜51〜84の階段

最後の螺旋階段

山頂から赤い屋根の灯台

  展望台(標高232m)にて
12:40  
下山完了。
足腰の弱いオッ家内、よく頑張りました。カンカン照りに顔や首筋は真っ赤か。
フーッと息をついでいるとアメリカ青年がやってきてお菓子をくれた。

下山了

The Bus 停留所から右上の道へ歩いた

アメリカ青年がお菓子をくれた

名前が分からない

ハイビスカス

白い鳥 
13:05

14:20
登山口バス停からホテルに帰る。 
相変わらずバスはいつ来るか分からない。
20:30

ホテル近くのRoysで夕食。
ビールはCorona ExtraとLong BordとStella Artoisを飲んだね。

レストラン Roys

Corona Extra ビール

Long Board ビール 

Stella Artois ビール

シュリンプとシーアスパラ

3種の魚料理 ほかギョウザもでたよ
【現地5日目 4月29日 イオラニ宮殿】
9:00

ホテルを出る。
今日も老夫婦二人だけの不安な旅。
バス停を次か?次か?と不安な中で42The Bus でハワイステイツキャピタルまで行く。 
 
このバス、2両編成
 
 州庁 Liberty bell
 
 ダミアン神父

ダミアン神父(ダミアンしんぷ、Father Damien、1840年1月3日 - 1889年4月15日)はベルギー出身のカトリック司祭。
ダミアンは修道名で、本名はヨセフ・デ・ブーステル(Joseph de Veuster)。
アメリカ合衆国ハワイ州モロカイ島で当時誰も顧みなかったハンセン病患者たちのケアに生涯をささげ、自らもハンセン病で命を落とした。
カトリック教会の聖人で記念日は5月10日。


リリウオカラニ女王像

イオラニ宮殿

カメハメハ初代大王像
リリウオカラニ(ハワイ語:Lili‘uokalani、1838年9月2日 - 1917年11月11日)は、ハワイ王国第8代の女王であり、
最後のハワイ王。在位は1891年1月29日 - 1893年1月17日。
1862年にアメリカ人のジョン・オーウェン・ドミニスと結婚した。1878年に作曲した『アロハ・オエ』は今でも多くの人に親しまれている。


カワイアハオ教会(ハワイ最古の教会)

カワイアハオ教会

門扉にハワイ王国の紋章

イオラニ宮殿をあとにしてアラモアナでオッ家内の好きなハワイアンキルトで買い物と食事をして何とかホテルに帰りついた。

 ハワイアンキルト店

店内 

店内
15:00
午後はワイキキビーチ散策。
親切なお巡りさんが老夫婦の写真を撮ってくれる。
 
お巡りさんと
 
ワイキキビーチにて
 
サーフィンの父デュークカハナモク像
17:00




 歩いていると救急車がやってきた。 見ると浮浪者が倒れている。

ハワイでは浮浪者をかなり見た。 
別のある日には「腹が減っている。何か食べ物をくれ」と言われた。
言葉は分からないが言っていることは想像できる。
「I Can not speak engrish 」と逃げたが・・・。
 
木の下に倒れている

ビーチのバニヤンツリー 

ビーチでチェス

オートバイの駐車違反
19:45
ビーチでもお買い物を楽しみ、ホテルに帰る。その後次男夫婦と共に北京海鮮酒家へ夕食。
エビ料理〜キヌガサタケ&豆腐料理〜ホタテ料理〜チャーハン、チンタオビールにバドワイザーおいしかった。

TsingTao ビール 
 
エビ料理
 
21:40
 ホテルに帰り、明日はマロの誕生日ということで「ハッピーバースデイ」でまた飲んだ。
 
【現地6日目 4月30日 サンセットクルーズ】
7:20
今朝は起きるのが遅かった。
洗面台で歯を磨こうと入れ歯を外したら、下へ落としてしまった。洗面台の下へもぐりこんで入れ歯を拾ったとたんに“ブーぶーブーぶー”と強烈な警報音が鳴った。
何事? 入れ歯を落としたくらいで・・・と不審に思っていると

英語に続いて日本語で「火災が発生しました。シャワーは使えません。エレベーターは使わずに階段を降りてください」と繰り返す。
落ち着いて服を着て部屋の外へ出ると次男夫婦も出てきた。

そして階段へ向かったときに警備の人が何人かやってきて「もう大丈夫です」という。
誰かがどこかで何かをやらかしたミスだろうと勝手に納得する。

9:27
午前中は老夫婦でアラワイ運河を終点まで歩き、そこからホノルル動物園へ行く。
動物園に着いたら疲れてしまったオッ家内は「これ以上歩けない」と駄々をこねる。 

運河沿いに咲く花 

運河の終点

ホノルル動物園
 
カピオレニ公園
ガンジー像

ワイキキビーチ

ビーチからダイヤモンドヘッド
14:50
午前中はアラワイからワイキキウオーク、午後はアーミーミュージアム見学。
 
館内
 
館内
17:20

19:40

夕刻はサンセットディナークルーズ。

クルーズ船

フラでお迎え

船内ダンス

ロブスター

サンセット

船内フラ 
今日はマロの誕生日とあってこのクルーズはオッ家内からのプレゼント。
食後はみんなで輪になってYMCAとかツイストとか唄って踊って大いに盛り上がる。
【現地7日目 5月1日 ハワイ最後の日】

7日間楽しんだハワイ、最後の日となった。
ホテルからワイキキビーチ〜アラモアナビーチを一人散策。
ビーチではヨガ体操のグループ、清掃する人あり。

ヨガ体操グループ

海辺を清掃する人

アラモアナのヨットハーバー

 コンゴウインコ赤色(寿命は100年という)

コンゴウインコ青色

海辺でウクレレを弾く人 
14:10






 ハワイとおさらば・・・。

帰りの飛行機でトイレに行った。
トイレのドアを開けて入ろうとしたら中には若い女性が・・・
びっくりして「オーノー」と叫ぶ。

スチュワーデスもびっくりして、助け舟を出してくれた。
トイレにはいってドアも鍵をしない日本女性も居るもんだ。
 
ハワイアン航空で帰途へ
 
 日本時間5月2日18時40分関空へ帰着。
暖かく一度も雨に逢わなかったハワイ、日本に帰り着くや“さぶっ、寒っ”

楽しかったハワイ企画をしてくれた次男夫婦に感謝。
1回目のハワイ(2008.07.19)  2回目のハワイ(2010.4.27) 

ハワイで目に付いたおでぶちゃん集。
タトーも大勢目に付いた。
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 上で掲載以外のお花集
     
     
     

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