2009.5.23(土)〜26(火)
阪急トラピクスで行く 4日間の沖縄旅行

新聞に標記の広告が出ていた。
前々から行きたいなあと思っていた沖縄旅行がなんと3万円!!

世間(世界中)は“豚インフルエンザ”で、学級閉鎖・修学旅行中止とか大騒動しているが年寄には“そんなの関係ねえ”とばかりに出かけた。
1日目(くもり)
17:15
 12時過ぎに自宅を出発し、15:15に関空を飛び立つと2時間後、   17:15には沖縄、那覇空港に着く。


関空にて

18:00

 空港からは「沖縄バス」で行動する。
4日間お世話頂く添乗員は大井君、バスガイドは上原さん、運転手は翁長さん。

 大井君が「沖縄では早足禁止!ゆっくりゆっくり、のんびりと!」と。
上原さんは「なんくるないさー(なんとかなるさ)」の精神でと。
沖縄での生活はとにかくあくせくしない、悠々と・・・ということだ。

 沖縄は5月18日から梅雨入りしたそうな。明日からの雨が心配だが、「なんくるないさー」。

 沖縄で「めんそーれ(いらっしゃい)」と言われたら、「はいさい(こんにちわ)」と応えろ、と。

 豊見城(トミグスク)インターから高速道に入り恩納村のホテルを目指す。
沖縄本島は南北130Km、東西最大部13kmの細長い島で、北部・中部・南部に分かれ、恩納村は中部に位置する。

19:00

 ホテルみゆき着。(恩納村)
ホテルの裏側は「みゆきビーチ」という名前の海水浴場できれいな砂浜だ。

 ホテルではお風呂に一番に飛び込む。大きな浴槽で気持ちいい。

 風呂の後はバイキング。オリオンビールに泡盛でカンパーイ。久しぶりのアルコール、うまいねえ。
2日目(くもり)

6:00

起床。
風呂に入る。体重計に乗る。66Kg。出発前より2Kg近く増えている。4月27日糖尿病を宣告されて以来3週間、酒も避け節制して体重を落としてきたのに旅に出て2日目にもうリバウンド。・・・なんくるないさー。

 朝食前に、ホテルの裏のビーチを散策。

ホテル裏

みゆきビーチ

海岸の岩 
 

8:45

 万座毛着。

 万人が座れる広いところという意味だ。
この由来は琉球王朝時代の第12代国王の尚敬王(しょうけいおう)が首里城を出て、庶民の暮らしを見てまわるいわゆる領土巡視の旅の途中にこの地を訪れ、この象の鼻の形をした岩のほうではなく天然芝の野原を見て、「万人を座するに足る毛」と称賛したところからこの名前が付いたそうだ。毛(モウ)は「原っぱ・草原」を意味する。
 
 バスでホテルからすぐそばだ。20分もすれば一周できる。

万座毛

象岩

夫婦岩

海寄りの岩場

アダンの木 
 
月桃(ゲットウ) この葉で餅を包む

9:25

 万座毛からまたバスですぐのところにテーマパーク「琉球村」。入場料840円とのこと。(トラピクス負担)

 赤瓦屋根にシーサーの民家、織物体験、陶芸体験、ハブショー等々あるが中でもエイサー踊りが楽しかった。

 民家のおばあさんが教えてくれた。
「沖縄には魔よけに3つある。一つは屋根の上のシーサー、二つは石敢当、三つはひんぷん」
・シーサーは屋根の上から魔が家に入らないように睨みを利かす。
・石敢当とは石に石敢当と書いて三叉路・T字路・家の角に置いて魔よけとする。
・ひんぷんは家の真ん中が仏間になっているので直接魔が入らないように1mほどの高さの衝立のような塀を立てる。


琉球村入り口

古民家

石敢当

エイサー踊り
 
エイサー踊り
 
サトウキビ絞り


10:45

 琉球村からすぐのところに黒糖工場。

 バスの途上、上原さんが教えてくれる。
「美らカーギー」・・・美人女性のこと。売店の女性を見たら「美らカーギー!と言ったら負けてくれるよ」と。
「美らニセ」・・・・・・男前のこと。鹿児島では「よかニセドン」と言うわねと。

サトウキビから絞った液を沸騰させて薄い板状にして乾かすと黒糖が出来る。
案外簡単な工程だった。
試食、食べ放題!

12:40

 海洋博公園。(国営、入場無料)

 沖縄県本部町に所在。沖縄県の日本復帰(昭和47年)を記念して昭和50年年7月から51年1月にかけて開催された沖縄国際海洋博覧会を記念して、博覧会跡地に昭和51年年8月に開設された公園。

 13時からイルカショーがあるというので前の方の席を確保。1番前はSplash Zone(水を浴びるぞ)。
400Kg以上もあるというゴンドウ鯨が芸達者でとてもかわいい。

ジャンプ

背泳ぎ

台の上 
 

 
13:40

 イルカショーのあと、食事をして「美ら海水族館」へ。

 海洋博公園は入場無料で気を良くしていたら、こちらは1800円。ビックリするもここもトラピックス負担、ありがとう。

ジンベエザメ

メガネモチノウオ

ヒトデ 
 

14:50

 水族館の見学を終えると次はお隣の「熱帯ドリームセンター」。

 ここは一人670円の入園料なるも水族館に入った人は半額。(これは自腹)

熱帯ドリームセンター

温室のラン
 
温室のラン
 

16:05

 名護パイン園見学。

 最初はパインの種類とか成長過程とかの説明を受けて、屋内に入るとパインワインの試飲飲み放題、パイン・パインカステラ食べ放題。
 ワタシにはワインはいまいちだった。

名護パイン園

パインの幼木

17:40

 沖縄サンコーストホテル。(名護市)

 このホテルは部屋はベッドでよかった。が、大浴場はなし。
大井君の説明では沖縄は水が少ないので大浴場の無いホテルは常識とのこと。
翌日の地元の新聞(琉球タイムス)には「今年の梅雨は異常で現在、貯水率50%。」と出ていた。

 そういえば、上原ガイドさんが「沖縄では民家の屋根には必ずタンクが設置されています」と言っていた。
北海道では灯油が家の横に設置されているが、ここ沖縄では屋根の上に水のタンクだ。3日分の水が用意できるとのこと。
3日目(はれ)
6:30  起床。

8:30

 ホテルをスタート。

 ホテルの前にはホウオウ木の赤い花。
葉の形状が鳳凰に似ているところからこの名がついた。

 昨日からバスの窓から沖縄独特のお墓がいたるところに見える。
上原ガイドさんの「シーミー」についての説明・・・

 シーミーとは清明祭と呼ばれる春のお盆のような行事。親族を中心とした祖先供養のことで、4月の日曜日に行われることが多いそうな。
 本州ではさくら祭り真っ盛りの頃だそうな。

沖縄サンコーストホテル

沖縄の立派なお墓

9:15

 東南植物楽園。(沖縄市)

 途上、ガイドの上原さん、「日本の3大名園は?」「兼六園・後楽園・失楽園??」とか楽しい話を次から次へ。
3日間、退屈無しのバス旅行だ。

園 は40万ヘクタールの広いエリアに1年中いろんな花が咲いているという。

東南植物楽園入り口

園内を列車で遊覧

ガジュマル

バン(兄弟で子守をする)(クイナ科)

ヒスイカズラ 
 
頭上をジェット機が

 園内を見学していると頭上に轟音を響かせながらジェット機が飛んでいく。
アメリカ軍基地のそばだからか、と思っていた。
勿論そうではあるが、翌日の新聞を見てなるほどと思ったのは「北朝鮮が地下核実験に成功した。アメリカ軍は特殊機で偵察に飛んだ。」とあった。

11:50

 沖縄ワールド。(南城市)

 昼食のそーきソバ。ここではソバと言ってもそば粉ゼロ。

 ワールドでは若い人が激しい踊りを息もつかず踊りまくる。
最後は我々も一緒に踊る。

エイサー踊り手と

 天然記念物玉泉洞。(那覇市)
言うまでもなく地下の神秘的な洞窟、いわゆる鍾乳洞のことであるが、昭和42年(1967)から愛媛大学学術探検部によって調査・探険が行われ当時は日本で第2位の長さを誇る(総延長4500m)とされ、東洋一美しいと評価されたという。

洞内は薄暗くて写真は駄目でした。

生き物もコーモリ・魚が見られるそうな。

玉泉洞

14:30

 ひめゆりの塔。(沖縄南端・糸満市)

 第二次大戦末期の沖縄戦で、看護隊として動員され戦死した沖縄師範女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒・職員を合祀する。


ひめゆりの塔

女生徒の像
 入館すると亡くなった女性の一人一人の写真や当時の戦争の写真が掲示されている。
中学生が語り部のおばあさんの話に盛んにメモを取っている。
 ひめゆりの塔からコロッと雰囲気を変えて「免税店」をウインドショップ。

17:15

 ホテル日光着。(那覇市)

 部屋に入り、一息ついてすぐにオプションの夕食に繁華街の「鉄板焼きステーキ、サムズ・マウイ」へ。

 店ではお客を確認するために名前を呼ぶ。
「シミズさん」「はい」「ヨシズミさん」「はい」、2回返事をしたらコックが変な顔をする。マロもおかしいなと思う。
「シミズ ヨシズミ」はマロの名だが、別に「ヨシズミ」という姓の人がいた。奇遇!!偶然!!その人は奈良県桜井市の人。

 食後は国際通りを散策。
大井氏紹介の「守礼堂」では大井氏接待の泡盛を頂き、お土産を買う。彼の名前で1割引。ありがとう。
4日目(はれ)

9:00

 最後の日はゆっくりホテルをスタート。

 上原さんが何度も説明した復習をさせる。
沖縄では東を「アガリ」、西を「イリ」、南を「フェ」といいます。「じゃあニシは?」「北をニシといいます」。

9:15

 首里城。(那覇市)

 琉球王国は、鎖国政策の例外的な存在として、江戸時代の幕藩体制に組み込まれなかった。だが明治維新で日本が開国し、台湾や南洋、中国に向かって支配を広げる意志を持つようになると、その第一歩として1879年、沖縄を日本帝国の版図に組み入れるため、琉球王朝を廃止し、代わりに沖縄県を設置する命令を下した。

 これは「琉球処分」と呼ばれ、1609年の薩摩軍による侵略、「本土防衛」のために沖縄が「捨て石」にされた太平洋戦争末期の沖縄戦、沖縄だけを本土から切り離し「基地問題」を固定化した戦後のサンフランシスコ条約とともに、「日本(ヤマト)が沖縄に行った数々のひどいこと」の一つに数えられ、沖縄の被害者意識を補強する材料となっている。

 「琉球処分」に対して、中国(清国政府)は強く抗議した。琉球王国の遺臣たちの中にも、清国から援軍を得て日本を追い払おうと考える人々がいた。だが、すでに弱体化が始まっていた清国は、その後の日清戦争で日本に負け、沖縄どころかその先の台湾まで日本に奪われ、琉球を助けることはなかった。

 とはいえ清国の側には、日本が武力を盾に琉球を囲い込んだことを認めない意識も強く、それが後継政権の中華民国(台湾政府)にも引き継がれ、「琉球」と「日本」とを別の存在として考えるゆえんとなっている。「尖閣諸島問題」もまた、こうした歴史の延長にある。



琉球はその昔、中国をはじめ日本や朝鮮、さらには東南アジア諸国との交易で栄える貿易国家であった。
水に棲み、角と四本の足を持ち、成長すると竜になるという中国の伝説の動物「キュウ」が海の中に浮かんで見えるような島々だったため「リュウキュウ」と呼ばれたという。
ジャワ、スマトラ海峡をひた走る琉球の貿易船は西洋にまでその名を轟かせ、ジパングを知らない人々も「リュウキュウ」の名は知っていたという・・・・・・。
 太平洋戦争における日米最後の決戦として戦われた沖縄戦(1945年[昭和20年])によって首里城はアメリカ軍の猛烈な砲撃を受け炎上し、地上からその姿をほぼ完全に消してしまいました。
沖縄戦による焼失から数えると47年ぶり(1992)に首里城は蘇りました。


入り口は「琉球は礼節を重んずる国である」という意味の「守礼之邦」と書かれた扁額を持つ守礼門。

守礼之邦門

シーサー

漏刻門

正殿

屋内の朝議の模型 

城壁 

10:45

 1時間半ほど首里城を見学して、那覇空港に着く。

 帰りのバスでは添乗員大井君が「なだそうそう」を三線裏ワザ。体の後ろ背中で三線を弾いている。
ガイド上原さんが「十九の春」をやはり三線を弾き歌ってくれる。彼女は三線のお師匠さんだそうな。
お二人とも見事な芸の持ち主!!

三線裏ワザ

十九の春
 
那覇空港にて
 

 4日間すてきな添乗員さんとガイドさんに案内されて思い出深い旅行になりました。ありがとう。
梅雨時にもかかわらずワタシの日頃の良き行いのため雨無しの旅行で大満足でした。
出来るならばまた来たいです。
12:00  飛行機離陸。
14:05  関空着。
16:30  自宅着。



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